アメリカ滞在記 〜Special Young Lady 編〜

今から26年前・・・


当時、リチャードは世界中から研修生を農場に迎えたり、時には世界各国へ指導に行っていた。

そんなリチャードが日本へ農業の指導に訪れ、帰国するために成田空港へ訪れた時、日本円を全て使い果たしてしまい、クレジットカードだけしか持っていなかったらしく、当時出国の際に支払う空港税を払うことができず、出発まであと15分というなんとも困った状況だったという。

意を決したリチャードは、免税店の女性店員が数人立っている、あるカウンターへ行くと、事情を説明して

「空港税を払うための ¥2,000 を貸して欲しい」

とお願いしたのだそうだ。

すると、たった一人だけ笑顔で「いいですよ、どうぞ」と ¥2,000 を差し出した若い女性がいたのだという。

その若い女性に「アメリカに帰ったらお金を送るから住所と名前を教えて欲しい」と頼むと

「返さなくてもいいですよ、それより急いで搭乗してください^^」と言ったのだそうだ^^

リチャードは「必ず連絡をするからどうしても教えて欲しい」と何度も頼むと、その若い女性はようやく名前と住所を教えてくれたらしい。

そしてリチャードが急いで飛行機に乗ると、シートベルトを締めた瞬間に飛行機が動き出したという。

その若い女性というのが・・・実はカミさんだった。

詳しくはカミさんのブログで

それからリチャードとカミさんは何度か手紙のやり取りをしたものの、時間が経つにつれ、カミさんも転職、結婚、引越し、と環境が少しづつかわり次第に連絡が取れなくなってしまい、そして20年以上の年月が過ぎてしまっていた。

そんなリチャードから、あの時の Special Young Lady を探して欲しいと頼まれた息子の一人が Facebook でカミさんを見つけ、メッセージをくれ、この夏26年ぶりに再会を果たすことができることになった。


再会したリチャードは、86歳を迎え、足の手術などをしたこともあり杖をつきながら歩くようになっていた。

滞在中、リチャードは本当にいろんな所へわたしたち家族を案内してくれて、
農場の端から端まで見せてくれ、いろんな作業に同行させてくれて、
たくさんの家族や仲間たちに合わせてくれて、
いろんな料理を食べに連れて行ってくれた。


ある時はカミさんにいたずらをしながら遊び

ある時はわたしたちの娘にいろいろと教えてくれて

ある時はわたしにいろんなものを見せてくれて

そして夜にはデザートだよ!! とアイスクリームを食べながら、何度も何度も当時の話をしてくれた。

「Emi はわたしの Special Young Lady なんだ」と・・・

「あの時 Emi が私にお金を貸してくれなかったら、今頃わたしは1日3回の白ご飯と生魚(お刺身のことだと思う)を食べているだろう」と冗談を交えながらも、リチャードの目には涙が浮かんでいた。

わたしたちを送ってくれた空港でも、「遠いアメリカまで来てくれてありがとう、わたしの Special Young Lady!!」と繰り返しながら、再び涙を浮かべていた。


また来年も、リチャードに会いに、あの農場に行きたいな

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